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2011年06月 アーカイブ

"美人"であること

"美人"であることは、一体誰にとっての「美しさ」なのか。


美人コンテスト。


そんなもの要らないと言われながらも、結局今も世界中で生き続けているのは、一体なぜなのだろうと、ふと思うことがあります。


なんだかんだ言っても女を姿形で品定めしたいのは、男の本能。


だから女はほくろ 除去までするしエステへも行く。


・・・・・ミス・インターナショナル世界大会から、ミスさくらんぼ的な地方自治体主催のコンテストに至るまで、要はそういう本能のハケロになってるだけなんじゃないか。


出たい人が勝手に出るコンテストならまだしも、中学校や高校で、男子生徒が何かの特権のようにマジで投票したりする、クラス単位の美人コンテストや、オフィスの場での"ミス○○課"を決める遊びなどは、たまったものではない。

品定めしたいという欲望

今は、学校でも"ミスター・コンテスト"のほうがずっと盛んで、それなら私もマジで投票してみたいと思うのだから、やっぱり人を「選びたい、品定めしたい」という欲望の遺伝子が、多くの男女にはセットされているに違いない。


そして、「選ばれたい、品定めされたい」と思う男女も、ハッキリとある数存在するわけで、出場者がいる限り、なくならないとするならば、これは永遠になくならない。


第一、多くのミスコンは、もったいぶって三次四次まで審査をやって候補者をしぼり込むスタイルなわけだが、この時、きっとあの人に違いない、やっぱりあの人が残った、これで間違いない、ぜったいあの人・・・・・と見ている者のほとんどが思っていると、必ずと言っていいほど別の人がミスになる不思議。


だからミスコンって、後味悪いのよねーと誰かが言っていたっけ。


どっちにしろミスコンは、多くの人にとってもはや「どうでもいいこと」には違いないのだ。


そして、少しでも美しく見えるようにほくろ 除去をしたり、エステへ行ってシェイプアップしたりするんです。

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